模糊日記

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読書、アニメ、マンガ、ロードバイクなど思ったことを書きます

秒速5センチメートル1

今日は前の記事に引き続きアニメーション映画監督の新海誠監督が書いた秒速5センチメートルについて記述していきたいと思います。映画はおよそ60分の作品で、小説は短編が3話入った184ページまで、解説、あとがき含めると191ページの作品になります。

 

ジャンルは恋愛に区分される作品だと思います。ストーリーを少し書いていこうと思うのでネタバレになるかもしれませんがそこは多めに見てください。

第一話「桜花抄」

転校が多かった少年・貴樹と少女・明里の小学生時代から物語は始まる。貴樹が小3時に東京の小学校へ転校してきてその一年後明里は転校してくる。お互い転校が多いこと、体があまり強くないということで行動を共にするようになる。その時明里はタイトルの示す言葉桜の落ちるスピードは秒速5センチメートルであることを貴樹に教える。そして二人は同じ私立中学校に合格し同じ中学校に行くはずだったが明里の転校によりその夢は叶わないものとなってしまう。そしてそれを伝えられた貴樹は何も言えずにいた。そして月日は過ぎ中学校1年生の冬今度は貴樹が転校してしまうことになる。それまでの二人の物理的な距離は東京と栃木であり比較的近いものであったが今度は東京が鹿児島に変わってしまうことになる。そこで文通をしていた二人は遠く離れ離れになる前に会うことを決意する。雪が降る日貴樹は群馬までラブレターを持って明里に会いに行く。その道中大雪のせいで約束の時間を大幅に過ぎてしまいまたラブレターをなくしてしまうが明里と貴樹は再開する。貴樹は会う前は好きだということを伝える決心をするが言えずのまま終わる。そして最後別れ際に明里は貴樹にこの先も大丈夫だよと伝える。

第二話「コスモナウト」

高校三年生の鹿児島貴樹に恋する花苗のサーフィンのするシーンから始まる。進路に悩みながら貴樹への思いを伝えずにいる花苗はサーフボードの上に立つことができたら思いを伝えると決心する。サーフボードに立てずとも花苗は貴樹と一緒に帰ったり話したりすることに積極的ではあった。ある日の帰り道H2Aロケットが地上を運ばれているところを見て貴樹はふと時速5キロだってと口にする。そしてサーフボードに立つことができその夕方貴樹と一緒に帰る時告白しようとするが誰かにメールを打つ貴樹の姿を見て貴樹は自分と同じ場所ではなく向こう側にいると感じ伝えられなかった。そして不意に花苗は涙を流してしまう。それを慰める貴樹を見て優しくしないでと心で唱える。花苗は貴樹を好きなまま離れ離れになるところで終わる。

第三話「秒速5センチメートル

第一話の二人が大人になった時の話になる。名前が明言されているわけではないが一番最初の彼女は明里で彼が貴樹であることは物語を呼んでくれればわかることだろう。貴樹は大学時代、社会人時代と彼女はいたが明里のことが引っかかり付き合うが優しすぎるなどの理由から別れていた。明里の方は結婚を決めた相手がいて東京で同居する準備を進めていた。明里はその時あの大雪の日に貴樹に渡すはずだった手紙を見つける。その手紙を見つけるが結婚相手との生活が始まるためまた時間が経ったら見ようと封筒にその手紙をしまう。一方貴樹は新卒で入った会社を辞め個人でプログラマとしての仕事をしていた。ある日夢を見る。そしてあの時渡すはずだった手紙をもう一度書く。そして、ある奇跡が起きる。ある春の日二人は踏切ですれ違いお互いの目が少しあう。電車がそれを遮るように通り貴樹がその電車が通り過ぎたら前に進もうと決心するところで物語は終わる。

 

長々と書いてしまいましたがストーリーはこんな感じでした。有名どころの作品なのでなんか不適切なところがあるかもしれませんがそこは見逃してください。

私自身の感想や思ったことはまた次の機会に書きます。

言の葉の庭

記念すべき?読書日記一発目はアニメーション映画監督新海誠さんが書いた言の葉の庭です。

なぜこの作品を選んだのか理由は簡単つい最近読み終わった作品だからです。語弊がある言い方になってしまうかもしれませんがお気に入りの作家は君の膵臓をたべたいの執筆した住野よるさんです。これまで読んだ本の感想はまた今度新たに書くとして始めていきますか稚拙な文が散乱するであろうがこの本に対する私の熱い思いを・・・

 

この本は映画完成後新海誠さん本人が書いた小説である。映画完成後だから映画と中身が全く一緒なのかなと考えていたのですが、その考えは見事に裏切られました。映画では靴職人を目指す男子高校生秋月孝雄とある事情から学校へ行けなくなり真昼間から公園でビールを飲む国語の女性教諭の雪野百香里である。小説でも同様に二人が主人公なのだが、映画では描かれることのなかった人物にもフォーカスされている。また、映画のエンディングの続きも知ることができる作品である。エピローグを含め11のタイトルがこの小説の各話につけられている。タイトルの他にも各話の最後にはその話にあった万葉集の歌が描かれており情景を想像する余地を多く与えてくれる。

 

この本を読み終わって頭によぎったのは人間てやっぱりみんなどこかしらおかしいよねという点。このおかしいところを自覚してる人はきっと少ないのであろう。自覚している人はそれを悟られないように、表に出ないようにビクビクしながら人と接しているだろう。実際私自身少しいやかなり口調が雑で品がない(決して下ネタに走る品ではない。これは断言できる)人間だと思っている。その部分が出ないように私自身気をつけて生活しているつもりであるが、割と頻繁に怖いとか言われてしまう。そしてなんとも言えない気持ちに苛まれてしまう。私が読書時にこのように自分の負の側面を捉えた時やっぱり自分はダメな人間だと烙印を押すだけではなくどうすれば救われるか何が必要なのかをその作品から得るようにしている。この作品からは同じようにおかしいことを理解できている人を見つけることが大事だと思った。

雪野と孝雄はお互いに自分が少しおかしいことに気づいている。雪野はそれで高校教師でありながら登校できず公園で真昼間からビールを飲み、孝雄は雨が降れば公園で靴の設計図を描く。そんな二人は雨の日に会うことを重ねていくうちに恋に落ちる。その恋ははっきりとした恋ではなく一人になり悲しくなる孤悲という文字がぴったりなものである。付き合うとかそういうはっきりした表現は見られない。しかし、お互いにお互いの存在があることで自分が存在することに気づくそれで十分恋ではないかと私は思う。それは承認欲求の塊だからとか思うが、人は元来承認欲求の塊で認められたい欲望でいっぱいなのだと思う。しかし、人は認められたいくせに認められない身勝手な生き物である。孝雄も雪野も人を認める精神は備わっているのだと思うしかし認めてくれる存在があまりにも少ないため怪訝な目で見られてしまってたのだろう。二人が出会うことでまた二人は新たな一歩を踏み出せてるわけだから私も他者を認め、私を認めてくれる人を見つけることができればそれで万事OKなのではないのか考えた。

 

新海誠監督は空前の大ブームを起こした君の名は。からもわかるように非常に写実的な絵を描くことかたであるが、小説ではその写実的な風景を言葉を巧みに使って表現している。ぜひ堪能してほしい。また、君の名は。で出てくる名前がちらほらと見られる。例えば主人公の雪野先生は糸守高校の先生として出てくるし、ある話の主役となる相澤祥子の友達はサヤちんと勅使河原が出てくる。君の名は。とは別人ではあるがなんかこう言葉に表せない感慨深さがある。

 

拙い文章で読みにくいと思いますが私の気持ちが少しでも伝わる方がいれば嬉しいかぎりです。若輩者の私ですが今後とも宜しくお願いします。

このブログについて・・・

このブログの執筆者のshimenoyukiです!

 

理系を専攻している自分が読書について記録したいと思いこのブログを始めました。

基本的には読んだ本の感想等を綴っていきたいと思います。

 

さて、なぜ急にブログで読書記録をしようと考えたのかを少し書いていきます。ブログより簡単なSNS(TwitterInstagram)が発達していて最初はそっちに投稿していたのですが、本に対する気持ちを書き始めたらそれはそれは長くなってしまいフォローしている身近にいる人たちに変人扱いをきっとされるだろう(いやされてるか)と思いブログ開設に至りました。

 

読書の内容ですが基本的に小説ですが、雑食なので漫画や自己啓発、ビジネス本なども入ってくる予定です。

 

これは余談ですがHTMLでブログを書けるようになりたい・・・(まだHTMLは挑戦してない模様)

 

よろしくお願いします。