模糊日記

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読書、アニメ、マンガ、ロードバイクなど思ったことを書きます

読書の楽しみ方

読書という言葉を聞いてちょっとお堅いなーとか真面目系かよと思う人がいるかもしれませんが話します。数ヶ月前ですが友人と読書についての話になりました。そこで読書への考え方の違いについて差異が起きて少し盛り上がった(ような)気がするので覚えている内容を少しまとめていきたいと思います。

 

 読書の考え方とスピード

ここでは小説を読んだということを例にあげていく。

読書の考え方

私は小説を読む際に意識していることは、フィクションの物語であっても、自分が主人公つまり物語の当事者であることを意識しながら読んでいくことを心がけている。心がけているというと大層なことをやっているように感じるかもしれないが、中学の国語のテストでよく”この時この登場人物の気持ちはどのような気持ちか?”という問題に対して読者(回答者)は登場人物の気持ちにならなければいけないはずである。大袈裟かもしれないが感情移入しましょうという話だと私は思っている。つまりあたかも自分が小説の世界に入り込むことを期待している問題だと解釈している。その癖からテストでなくても普通に小説を読むときは感情移入、物語の世界観へ入りこもうとする。物語の世界に入り込むことで新たな思想が生まれると思うし、少なくとも今の自分に欠落している感情や考え方を与えてくれると考えている。深く登場人物の思想や考え方を得るためにはやはり当事者意識を持つ必要性があるはずだと思う。

しかし友人はそんな私に対して言ったのだ「真面目に読みすぎじゃね」。そんな友人はどのような思いを持って読書しているのかを聞いたところ、深く考え込まずに語彙を増やす、ストーリーを楽しむために読んでいるというようなことを言っていた。小説から自分の価値観を変えようという思想を持っていなかったのだ。小説の現実は別物であるという考え方である。確かに小説はフィクションであるため現実のものではない。一理あるなと思った。

読書スピード

わざわざ前節と同じ章に読書スピードについての見出しを持ってきたのには意味がある。登場人物の感情に埋没する私の読み方は非常に時間がかかる。そのやりとりが行われる場所をイメージし、これまでのストーリーから今この登場人物はこの感情を持っているのではないかなどを考えながら読むためである。友達はストーリーの流れに身を任せるため、このセリフの真意はなんだろうと深く考え込まないということだろう。そこでスピードに違いが生まれてくるのであると思う。

 

D坂の殺人事件

友人と江戸川乱歩の”D坂の殺人事件”について話したことがある。このD坂の殺人事件詳しい話は省くとして私的にはめっちゃ面白いという感想には行き着かなかった。しかし、友達は面白いよねというのである。なぜそこに違いが生まれたのだろうか?ちょっと考えて見たいと思う。女性が殺される殺人事件が起き、その顛末は不倫関係にあった男が犯人であるというものである。その殺人に至る経緯がなんとも腑に落ちないものだと私の考え方である。決してストーリーがドロドロしているわけではないのだが加害者に感情移入が非常にしずらいのである。SMが趣味でそれが行きすぎて殺してしまったという顛末にどうも腑に落ちないのである。その加害者がドMという描写はなく、最後謎解きのシーンで明智小五郎が言ってしまうのである。確かにストーリーとしては意外性があり面白いと思う、しかし、幾ら何でも簡単すぎないかと思ってしまうため私はちょっと面白いとは言い難いなと思う。ストーリーを楽しむ人には面白いかもしれないが、物語の中に埋没したいと思う人には物足りないため差異が生まれたのだと思う。

 

最後に

読書の価値観というものには複数あることがわかりちょっと面白いなと思い記事にして見ました。かなり走り書きで書いているので所々文章として成り立たない部分があると思うので改訂して行きたいと思ういます。決して江戸川乱歩がつまらないと言っているわけではなく日本を代表する文豪として尊敬に値する人だと思います。