模糊日記

理系人間による読書記録とその他の記録

余命10年

どうもGuten Tag(ドイツ語でこんにちはの意)知ってたらごめんなさい。

今日は小坂流加さんの余命10年を読んだ感想を書いていこうと思います。

 

まず余命10年とは?

20歳の時に10年しか生きられないと言われた茉莉がその中でどう人生を全うしていったかを綴った小説です。突然病気で余命10年と言われ、様々なものを諦めざる得なかった茉莉はある同級生・和人との再会を境に恋愛を諦めることが難しくなって行く。そうして行き着いた境地とはなんだったのか、和人はどうなって行くのか二人の一挙手一投足から目が離せない作品です。

また、この小説の作者である小坂さんは文庫化され発売を待たずして亡くなったという部分もまた、リアルが詰まっているような気がして切なさを倍増させました。

 

茉莉の半生の物語を通じて私は一人になろうと決意しても寂しいものは寂しいよなと思いました。あまり友人が多いたちではない自分は他のクラスメイトたちに比べ「〜しようぜ」や「〜いくべ」みたいな誘いの言葉を受けることも誘うことも少ないです。だったらトコトン一人を謳歌しようと思っても、あほみたいに声がでかく理性という言葉を知らないんじゃないかというような奴が威張ってくるんですよね。自分は一人が好きなんだと言い聞かせようとしても遠くから聞こえる笑い声を聞くと孤独感に苛まれます。多分この感情は寂しいなんでしょう。人は一人じゃ生きていけないと様々なところで言われますがそういう寂しいという感情は一人で解決できないからだと思います。

一人についてですが茉莉は余命10年という期間の中で様々な人と交流します。その中でも和人を除いて一番の友人と言えたのは沙苗だったと思います。茉莉は沙苗と出かけている最中自分を受け入れられている感じたそうです。しかし、短大時の同級生とは上手く自分を出すことができずに疲れていました。受け入れられているかどうかは私自身も結構気を使っているつもりです。通学している学校の人たちはまぁ大体が茉莉にとって短大時代の友人のような人たちばかりで自分の話をすればそれで満足、お前の話は聞いてやるけどみたいな人たちが多いような気がします。そういう人たちとつるむもしくは同じ空間に放り込まれるとかなりダメージを負います。個人的には良いと思ったおもの簡単に破壊されるという現実は辛いものがあります。受け入れてくれる人がいるだけできっとそんな辛い時間も忘れられるんだろうと思いました。

 

最近生死を取り扱った本を読むことが多いのかなと個人的には思っています。生と死対極に位置するものですが隣にあるものでその中で生まれる感情はきっと日常でも感じていることなんだろうと思います。病気で死期が近いから感覚が鋭くなって新たな感情が芽生えるような生き方もアリだと思いますがなるべくなら新たな感情を生まないために身の回りの変化を鋭敏に感じ取れるように暮らして生きたい。

感想になってるのかどうかわからんことになりましたがここら辺でではまた今度

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秒速5センチメートル2

前回は想像以上にストーリーについて書き過ぎてしまったので次回への反省材料と思いつつ、今回は秒速5センチメートルの感想や考察的なことを書いていきます。

 

実際アニメ映画を見た感想を探したりする限り鬱アニメという印象が強い秒速5センチメートルですが、小説を読むことで180度その感想は変わるものでと思います。

それは小説と映画では話が違うから・・・?

映画も小説の三話構成でどの話のタイトルも一緒です。よって話の根本はさほど変わりません。しかし、映像では表現しきれない心情の移り変わりが小説でははっきりとわかるからというのが大きいでしょう。特に最後のシーン映画では明里と貴樹がすれ違って、貴樹が振り向いたら明里はいなく無言で終わってたような気がします。ですが小説だと”この電車が通り過ぎたら前に進もうと、彼は心に決めた。”の1行で締めくくられます。これによって貴樹は明里という存在を思い出いう形になり明里への気持ちという呪縛から放たれるようなイメージを読者に持たせていると私は思いました。さらに貴樹という男の半生の記録という解釈もできるのかなとも思います。これからの生活はどうなっていくのだろうかなど最後の結末を考えさせてくれる作品です。

あと映画では会社を辞めた後の貴樹は働いていないニートのような描き方をされているのですが、プログラマとしての実力が高かったため、小説では在宅で仕事をしているということになっています。ニートで昔の恋愛を引きづり前に進めづにいてすれ違って終わりだと悲しさしか得られません。しかし、仕事を持っていることで少しは社会に溶け込もうとする意思があることが読め取れ前に進もうということは片隅に残っているように思えます。

 

つまり、何が言いたいかというとアニメだけ見て鬱アニメだというのは短絡的な気がします。切ない気持ちになるのは否めませんが完全なバッドエンドということではないのでアニメも小説も楽しんでほしいです。

 

若輩者のくせに偉そうなことを言ってるような気がしますがこの記事はこの辺で終わりにしたいと思います。

秒速5センチメートル1

今日は前の記事に引き続きアニメーション映画監督の新海誠監督が書いた秒速5センチメートルについて記述していきたいと思います。映画はおよそ60分の作品で、小説は短編が3話入った184ページまで、解説、あとがき含めると191ページの作品になります。

 

ジャンルは恋愛に区分される作品だと思います。ストーリーを少し書いていこうと思うのでネタバレになるかもしれませんがそこは多めに見てください。

第一話「桜花抄」

転校が多かった少年・貴樹と少女・明里の小学生時代から物語は始まる。貴樹が小3時に東京の小学校へ転校してきてその一年後明里は転校してくる。お互い転校が多いこと、体があまり強くないということで行動を共にするようになる。その時明里はタイトルの示す言葉桜の落ちるスピードは秒速5センチメートルであることを貴樹に教える。そして二人は同じ私立中学校に合格し同じ中学校に行くはずだったが明里の転校によりその夢は叶わないものとなってしまう。そしてそれを伝えられた貴樹は何も言えずにいた。そして月日は過ぎ中学校1年生の冬今度は貴樹が転校してしまうことになる。それまでの二人の物理的な距離は東京と栃木であり比較的近いものであったが今度は東京が鹿児島に変わってしまうことになる。そこで文通をしていた二人は遠く離れ離れになる前に会うことを決意する。雪が降る日貴樹は群馬までラブレターを持って明里に会いに行く。その道中大雪のせいで約束の時間を大幅に過ぎてしまいまたラブレターをなくしてしまうが明里と貴樹は再開する。貴樹は会う前は好きだということを伝える決心をするが言えずのまま終わる。そして最後別れ際に明里は貴樹にこの先も大丈夫だよと伝える。

第二話「コスモナウト」

高校三年生の鹿児島貴樹に恋する花苗のサーフィンのするシーンから始まる。進路に悩みながら貴樹への思いを伝えずにいる花苗はサーフボードの上に立つことができたら思いを伝えると決心する。サーフボードに立てずとも花苗は貴樹と一緒に帰ったり話したりすることに積極的ではあった。ある日の帰り道H2Aロケットが地上を運ばれているところを見て貴樹はふと時速5キロだってと口にする。そしてサーフボードに立つことができその夕方貴樹と一緒に帰る時告白しようとするが誰かにメールを打つ貴樹の姿を見て貴樹は自分と同じ場所ではなく向こう側にいると感じ伝えられなかった。そして不意に花苗は涙を流してしまう。それを慰める貴樹を見て優しくしないでと心で唱える。花苗は貴樹を好きなまま離れ離れになるところで終わる。

第三話「秒速5センチメートル

第一話の二人が大人になった時の話になる。名前が明言されているわけではないが一番最初の彼女は明里で彼が貴樹であることは物語を呼んでくれればわかることだろう。貴樹は大学時代、社会人時代と彼女はいたが明里のことが引っかかり付き合うが優しすぎるなどの理由から別れていた。明里の方は結婚を決めた相手がいて東京で同居する準備を進めていた。明里はその時あの大雪の日に貴樹に渡すはずだった手紙を見つける。その手紙を見つけるが結婚相手との生活が始まるためまた時間が経ったら見ようと封筒にその手紙をしまう。一方貴樹は新卒で入った会社を辞め個人でプログラマとしての仕事をしていた。ある日夢を見る。そしてあの時渡すはずだった手紙をもう一度書く。そして、ある奇跡が起きる。ある春の日二人は踏切ですれ違いお互いの目が少しあう。電車がそれを遮るように通り貴樹がその電車が通り過ぎたら前に進もうと決心するところで物語は終わる。

 

長々と書いてしまいましたがストーリーはこんな感じでした。有名どころの作品なのでなんか不適切なところがあるかもしれませんがそこは見逃してください。

私自身の感想や思ったことはまた次の機会に書きます。

言の葉の庭

記念すべき?読書日記一発目はアニメーション映画監督新海誠さんが書いた言の葉の庭です。

なぜこの作品を選んだのか理由は簡単つい最近読み終わった作品だからです。語弊がある言い方になってしまうかもしれませんがお気に入りの作家は君の膵臓をたべたいの執筆した住野よるさんです。これまで読んだ本の感想はまた今度新たに書くとして始めていきますか稚拙な文が散乱するであろうがこの本に対する私の熱い思いを・・・

 

この本は映画完成後新海誠さん本人が書いた小説である。映画完成後だから映画と中身が全く一緒なのかなと考えていたのですが、その考えは見事に裏切られました。映画では靴職人を目指す男子高校生秋月孝雄とある事情から学校へ行けなくなり真昼間から公園でビールを飲む国語の女性教諭の雪野百香里である。小説でも同様に二人が主人公なのだが、映画では描かれることのなかった人物にもフォーカスされている。また、映画のエンディングの続きも知ることができる作品である。エピローグを含め11のタイトルがこの小説の各話につけられている。タイトルの他にも各話の最後にはその話にあった万葉集の歌が描かれており情景を想像する余地を多く与えてくれる。

 

この本を読み終わって頭によぎったのは人間てやっぱりみんなどこかしらおかしいよねという点。このおかしいところを自覚してる人はきっと少ないのであろう。自覚している人はそれを悟られないように、表に出ないようにビクビクしながら人と接しているだろう。実際私自身少しいやかなり口調が雑で品がない(決して下ネタに走る品ではない。これは断言できる)人間だと思っている。その部分が出ないように私自身気をつけて生活しているつもりであるが、割と頻繁に怖いとか言われてしまう。そしてなんとも言えない気持ちに苛まれてしまう。私が読書時にこのように自分の負の側面を捉えた時やっぱり自分はダメな人間だと烙印を押すだけではなくどうすれば救われるか何が必要なのかをその作品から得るようにしている。この作品からは同じようにおかしいことを理解できている人を見つけることが大事だと思った。

雪野と孝雄はお互いに自分が少しおかしいことに気づいている。雪野はそれで高校教師でありながら登校できず公園で真昼間からビールを飲み、孝雄は雨が降れば公園で靴の設計図を描く。そんな二人は雨の日に会うことを重ねていくうちに恋に落ちる。その恋ははっきりとした恋ではなく一人になり悲しくなる孤悲という文字がぴったりなものである。付き合うとかそういうはっきりした表現は見られない。しかし、お互いにお互いの存在があることで自分が存在することに気づくそれで十分恋ではないかと私は思う。それは承認欲求の塊だからとか思うが、人は元来承認欲求の塊で認められたい欲望でいっぱいなのだと思う。しかし、人は認められたいくせに認められない身勝手な生き物である。孝雄も雪野も人を認める精神は備わっているのだと思うしかし認めてくれる存在があまりにも少ないため怪訝な目で見られてしまってたのだろう。二人が出会うことでまた二人は新たな一歩を踏み出せてるわけだから私も他者を認め、私を認めてくれる人を見つけることができればそれで万事OKなのではないのか考えた。

 

新海誠監督は空前の大ブームを起こした君の名は。からもわかるように非常に写実的な絵を描くことかたであるが、小説ではその写実的な風景を言葉を巧みに使って表現している。ぜひ堪能してほしい。また、君の名は。で出てくる名前がちらほらと見られる。例えば主人公の雪野先生は糸守高校の先生として出てくるし、ある話の主役となる相澤祥子の友達はサヤちんと勅使河原が出てくる。君の名は。とは別人ではあるがなんかこう言葉に表せない感慨深さがある。

 

拙い文章で読みにくいと思いますが私の気持ちが少しでも伝わる方がいれば嬉しいかぎりです。若輩者の私ですが今後とも宜しくお願いします。

このブログについて・・・

このブログの執筆者のshimenoyukiです!

 

理系を専攻している自分が読書について記録したいと思いこのブログを始めました。

基本的には読んだ本の感想等を綴っていきたいと思います。

 

さて、なぜ急にブログで読書記録をしようと考えたのかを少し書いていきます。ブログより簡単なSNS(TwitterInstagram)が発達していて最初はそっちに投稿していたのですが、本に対する気持ちを書き始めたらそれはそれは長くなってしまいフォローしている身近にいる人たちに変人扱いをきっとされるだろう(いやされてるか)と思いブログ開設に至りました。

 

読書の内容ですが基本的に小説ですが、雑食なので漫画や自己啓発、ビジネス本なども入ってくる予定です。

 

これは余談ですがHTMLでブログを書けるようになりたい・・・(まだHTMLは挑戦してない模様)

 

よろしくお願いします。