模糊日記

模糊日記

読書、アニメ、マンガ、ロードバイクなど思ったことを書きます

激アツの高校サッカー漫画DAYS

去年から漫画や本の収集に投資をしているのですが、これまでは活字の本ばっかだったので漫画の話を・・・

 

私の友達には県内の古豪である高校のサッカー部で学生コーチをやっている人がいるのが関係しているのかしてないのかよくわかりませんが今私の中でDAYSという高校サッカー漫画がお気に入りです。

 

去年の夏にはアニメ化されそれがきっかけで漫画を集め始めました。キャラクターの個性や、名言等魅力をあげようとしたらまとめられそうにないくらいあります。そこでDAYSについてこれから少しづつ記事を書いていこうと思うので皆さん興味があれば見てくれると嬉しいなーと思いつつ今日はこの辺で。See you!

ハンドボールは最高の競技

私は中学卒業後高専と呼ばれる学校に進学した。特に私の通う高専は部活動がそこそこ盛んであり、一年生は何かしらの部活に入ることになる。私は、バドミントンを中学ではやっていたが、中学で仲の良かった人が受験に失敗しバドミントンではない競技に変えようと思った。とりあえず運動部にしようとは思っておりいろいろな部活の中からハンドボールを選んだ。そこから私はハンドボールに魅せられて行くのである。

 

なにが良いのか?

ハンドボールは投げる・走る・飛ぶという様々な運動要素が詰まっている。特にジャンプしながら投げるシュートは空中での姿勢を保つために体幹を含めた全身を使って威力のあるシュートを打ち込む。また、人を掴んでも即退場ということはなくボディコンタクトを許されているスポーツで私の知っている球技の中でも異質であった。強さが前面にでるスポーツだと思う。

 

どんなルール?

ここではハンドボールをよく分からない人のために簡単にハンドボールを説明していきたいと思う。これを見てちょっとおかしいだろうと思ったハンドボール関係者さんにはコメント等で指摘してもらいたい。

コート両端にあるゴールに向かってシュートを放ちその点数を争う競技である。人数はバスケよりも多くサッカーより少ないGKを含めた7人で行う。ハンドボールというだけあって足を使ってボールを扱うことは禁止される。よってバスケの要素を含むがゴールは地上にあるためサッカーの要素を含んだ競技である。また選手交代が審判に言わなくてもできるところも特筆すべきルールだろう。反則による退場は基本的に2分間退場でありその時間を経過すればコートに戻れる。しかし稀にレッドカードが出ると退場より重い追放となりその大会の出場が禁止される。一番大事なことを忘れてました!歩ける歩数は三歩まで、そしてゴールから半径6mはGKを除くプレイヤーは足をそこについてボールに触れてはいけない。あくまでもボールを持ってそのエリアに足をついていけないというルールのため空中では6mの中に入っても良い。そのルールがハンドボールのアクロバットなプレーを生む要因であると私は思う。まぁ簡単に説明するとこんなところだろう。

どんなプレイヤーだったのか?

私の運動神経は中の中ぐらいだと思う。そこで私の生きる道は頭を使いいかに相手の隙をつくかそして最後まで走りきれるかというプレイヤーだった。短距離のスピードはチームで下から数えた方が早いと思うが長距離はなかなかのタイムだったと思っている。相手の体力が落ちた時に頑張る選手であった。

 

ハンドボールは格闘技

ハンドボールが球技の格闘技と呼ばれる所以を私のプレーしているビデオを使って説明したいと思う。

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このシーン青チームで最後にパスを出したのが私である。私のチームがシュートをバーに当てその跳ね返りを争っている。こちらの攻撃失敗から相手は即座に攻め込むことで守備陣形が整うために攻めたいためボールを奪取にくる。しかし、こちらからすれば相手ゴール前ということでなるべくならシュートを決めきりたい両者の意地のぶつかり合いである。このシーン空中に浮いたボールを触り取ってから4人に囲まれるそして私がボールを保持した瞬間相手はボールを叩くか私を止めるために進路を塞いだり捕まえようとする。この時ボールのみを叩くに行くのがバスケだがハンドボールは腕ごと掴んでも痛くも痒くもない。こんな感じでボールに貪欲に行くのがハンドボールである。

 

ちょっと疲れたので今日はこの辺で終わりにします。また、ハンドボールについて書きたいと思います。

 

 

酔った後のしじみ汁はうまい

私の周りは割とお酒の人が強いと思っている。学生の身分であるが何かと理由をつけて飲みに行くことがちらほらある。私自身お酒は飲めるがすぐ赤くなるため弱い方である。が、強いやつと飲みに行くと飲み放題にされ、友達のペースに乗っかってしまい飲み過ぎてしまうことがある。大抵飲みすぎる時はカクテルのような甘さや、酸っぱさなどアルコールの味を消してくれるようなお酒を飲む。あまり面白くない下劣な話を聞きながら私はお酒を飲む。心の中であなたのその話何回聞かされるのだろうか飽きたよもうと唱えながらにこやかに肯定しながらやり過ごす。やがて時は満ちお開きになった。二次会に誘われ一応情報網を失うことは避けたいのでついて行く。そこでも同じような話をされ私は疲弊しながらお酒をいただく。そして解放され最寄駅から家まで帰る間にあるコンビニに立ち寄り、水を買うついでに店内を物色すると・・・カップの味噌汁が!なんかとても味噌汁を飲みたい気分に駆られた私はねぎ、豆腐、豚汁、しじみからしじみを選ぶ。家に帰りやかんに水を入れお湯を沸かしカップのしじみ汁にお湯を入れた瞬間に立ち込めるなんとも言えない味噌と貝の香り。あぁ〜日本人でよかった!!

箸を器に入れ味噌を溶きながら汁をすするとなんと言うことでしょうカクテルやビールのアルコールの感じが流れて行く感じが!とても清々しい気分になります。

他の味噌汁でも確かにアルコールがなくなる感じがするのですがやっぱりしじみが一番うまい!

このアルコール感が口からなくなるのは化学的な要素があるのか今度調べてみようと思います。もしこの記事を読んで知ってるよと言う人がいればコメントくれると嬉しいです。

また、同じ夢を見ていた コミカライズ版

友達とご飯に行くはずが雨で流れて時間が空いたのでちょこっと書きますね。

 

君の膵臓をたべたいでおなじみの住野よるさんが書いた小説”また、同じ夢を見ていた”通称”まゆみ”が漫画になって戻って来ました。漫画を担当するのは、君の膵臓をたべたいのコミカライズを担当した桐原いづみさんです。

漫画版”膵臓”(君の膵臓をたべたいの通称)の最終巻だったか、最終話が収録されたアクションだったかは忘れましたがまゆみのコミカライズが発表されてからこの日を待ちわびてました。

 

自分が住んでいる近くにあるコンビニ、TUTAYA紀伊国屋で見つけられずにいた第一話収録の月刊アクション。なーんで置いてないのかなー?渋い世の中だなと思いつつ発売日から数日、とうとうアニメイトにて見つけたんですねー。いやーこれは盲点でした。アニメイトは、コミック、DVD、BD、CDなどに特化してると思ったら普通に売ってるじゃないか!迷うことなく買いました。

 

肝心な中身は?

そんなこんなで手に入れたアクション。家まで待てずに近くのカフェでまゆみだけ拝読。個人的には1話の時点ですが完成度は高くなりそうです。自分を疑わない主人公奈ノ花の目が自信に満ち溢れているような目なんですね。今後のシリアスな展開でその目がどう変化していくのかが楽しみです。パラレルワールドで存在する歳をとった奈ノ花は南さん以外が出て来ました。アバズレさん、木の家に住むおばあちゃん共に小説の世界から飛び出て来た感じがしてなりません。次回南さんが登場すると思いますが小説の世界観そのままの南さんが見れると思います。

 

まゆみもう一回読み直そうかな。ではまた。

https://www.instagram.com/p/BZgksQ4jHu5/

月刊アクション11月号住野よるさんのまた、同じ夢を見ていたが桐原いづみさんによりコミカライズとして登場!5ヶ月くらい前に小説を読んだけどその時のイメージとあまり差異がないくらい良くできてるなと思いました。続きが楽しみです。#アクション #また同じ夢を見ていた #住野よる #桐原いづみ

いちご同盟

みなさんnamaste(サンスクリット語で今日はの意)です。

今日は三田誠広さんのいちご同盟について記録しようと思います。

 

一体どんな話?

いちご同盟は病気の少女直美と野球部でエースで4番の陽キャラの男子徹也とピアノを引きながら自分の将来に不安を持つ男子良一が織りなす青春(恋愛)小説といったところでしょうか。

いちご同盟とは徹也と良一が直美を忘れないために組んだ同盟で、その時の年齢が15歳であったことからいちご同盟となっています。

 

いちご同盟を知った経緯

いちご同盟は実写映画化及びアニメ化がされている新川直司さん原作の”四月は君の嘘”という漫画に出てくる実名の小説です。

漫画ではこの小説に出てくるセリフが引用されているのですが一体どのような意味が込められた言葉なのだろうかと不意に思い購入した次第です。

 

人の持つ権利とは?

この作品では自殺は健康である人の権利であるというニュアンスの言葉が出てくる。この言葉は病気で病院に入院し寝たきりの直美が良一が自殺を考えていることを考えていることに気づき発言する。病人には自殺をする権利すらも与えられないそれはなぜか?病人が自殺したところで病気のせいにされて誰も驚かないとのこと。直美にとって生を絶たれようとも誰かが自分のことを思い出してくれるそのことがきっと大事だと考えているからだと思う。忘れられたくないその思いがそういう発言を生んだんだと私は思いました。その話を知ってか知らずか徹也は良一に歳をとっても直美のことを話そうという同盟を持ちかけるのです。両方とも直美が好きなのは変わらないのですがキャラクターが違うことで行動が変わってくるのだろうと思いました。

四月は君の嘘との比較

四月は君の嘘では”私と心中しない?”というセリフが引用されている。このセリフは病気にかかったヴァイオリニストのかをりがお見舞いに来ても黙ったままのピアノが弾けなくなったピアニスト有馬に言う。かをりがこのセリフに込めた意味は告白なのではないかと今は感じる。一緒に死ぬことで好きな人有馬が自分をこの世にいる最中で忘れることはないと言う考えもあり発したのではないかと今は思う。しかし有馬はこのままでは後追いだと言い断りかをりの横に立つ努力をするのです。良一もこの後認めてもらえなかった母親に認めてもらえます。この私と心中しないは人を前に向かせる言葉なのは両者の共通点と言えるでしょう。違う点は病死の描写の有無といったところでしょうか四月は君の嘘は有馬公正と言うピアニストがどう進化して行くのか表現者としての階段を踏んで行くのかという部分を顕著に書いているが、こちらは生と死の違いをはっきりと記述しているイメージだと個人的には感じました。話の重さとしてはいちご同盟の方が俗に言う重い話かなと思います。

 

最後に

直美は死んでしまいますが、この二人のいちご同盟があることでこの世に存在したことを忘れられずに済むと思いました。私も誰かの心に残り続けることができる人間になりたいです・・・

 

余命10年

どうもGuten Tag(ドイツ語でこんにちはの意)知ってたらごめんなさい。

今日は小坂流加さんの余命10年を読んだ感想を書いていこうと思います。

 

まず余命10年とは?

20歳の時に10年しか生きられないと言われた茉莉がその中でどう人生を全うしていったかを綴った小説です。突然病気で余命10年と言われ、様々なものを諦めざる得なかった茉莉はある同級生・和人との再会を境に恋愛を諦めることが難しくなって行く。そうして行き着いた境地とはなんだったのか、和人はどうなって行くのか二人の一挙手一投足から目が離せない作品です。

また、この小説の作者である小坂さんは文庫化され発売を待たずして亡くなったという部分もまた、リアルが詰まっているような気がして切なさを倍増させました。

 

茉莉の半生の物語を通じて私は一人になろうと決意しても寂しいものは寂しいよなと思いました。あまり友人が多いたちではない自分は他のクラスメイトたちに比べ「〜しようぜ」や「〜いくべ」みたいな誘いの言葉を受けることも誘うことも少ないです。だったらトコトン一人を謳歌しようと思っても、あほみたいに声がでかく理性という言葉を知らないんじゃないかというような奴が威張ってくるんですよね。自分は一人が好きなんだと言い聞かせようとしても遠くから聞こえる笑い声を聞くと孤独感に苛まれます。多分この感情は寂しいなんでしょう。人は一人じゃ生きていけないと様々なところで言われますがそういう寂しいという感情は一人で解決できないからだと思います。

一人についてですが茉莉は余命10年という期間の中で様々な人と交流します。その中でも和人を除いて一番の友人と言えたのは沙苗だったと思います。茉莉は沙苗と出かけている最中自分を受け入れられている感じたそうです。しかし、短大時の同級生とは上手く自分を出すことができずに疲れていました。受け入れられているかどうかは私自身も結構気を使っているつもりです。通学している学校の人たちはまぁ大体が茉莉にとって短大時代の友人のような人たちばかりで自分の話をすればそれで満足、お前の話は聞いてやるけどみたいな人たちが多いような気がします。そういう人たちとつるむもしくは同じ空間に放り込まれるとかなりダメージを負います。個人的には良いと思ったおもの簡単に破壊されるという現実は辛いものがあります。受け入れてくれる人がいるだけできっとそんな辛い時間も忘れられるんだろうと思いました。

 

最近生死を取り扱った本を読むことが多いのかなと個人的には思っています。生と死対極に位置するものですが隣にあるものでその中で生まれる感情はきっと日常でも感じていることなんだろうと思います。病気で死期が近いから感覚が鋭くなって新たな感情が芽生えるような生き方もアリだと思いますがなるべくなら新たな感情を生まないために身の回りの変化を鋭敏に感じ取れるように暮らして生きたい。

感想になってるのかどうかわからんことになりましたがここら辺でではまた今度

https://www.instagram.com/p/BZEOkorDlBX/

 

秒速5センチメートル2

前回は想像以上にストーリーについて書き過ぎてしまったので次回への反省材料と思いつつ、今回は秒速5センチメートルの感想や考察的なことを書いていきます。

 

実際アニメ映画を見た感想を探したりする限り鬱アニメという印象が強い秒速5センチメートルですが、小説を読むことで180度その感想は変わるものでと思います。

それは小説と映画では話が違うから・・・?

映画も小説の三話構成でどの話のタイトルも一緒です。よって話の根本はさほど変わりません。しかし、映像では表現しきれない心情の移り変わりが小説でははっきりとわかるからというのが大きいでしょう。特に最後のシーン映画では明里と貴樹がすれ違って、貴樹が振り向いたら明里はいなく無言で終わってたような気がします。ですが小説だと”この電車が通り過ぎたら前に進もうと、彼は心に決めた。”の1行で締めくくられます。これによって貴樹は明里という存在を思い出いう形になり明里への気持ちという呪縛から放たれるようなイメージを読者に持たせていると私は思いました。さらに貴樹という男の半生の記録という解釈もできるのかなとも思います。これからの生活はどうなっていくのだろうかなど最後の結末を考えさせてくれる作品です。

あと映画では会社を辞めた後の貴樹は働いていないニートのような描き方をされているのですが、プログラマとしての実力が高かったため、小説では在宅で仕事をしているということになっています。ニートで昔の恋愛を引きづり前に進めづにいてすれ違って終わりだと悲しさしか得られません。しかし、仕事を持っていることで少しは社会に溶け込もうとする意思があることが読め取れ前に進もうということは片隅に残っているように思えます。

 

つまり、何が言いたいかというとアニメだけ見て鬱アニメだというのは短絡的な気がします。切ない気持ちになるのは否めませんが完全なバッドエンドということではないのでアニメも小説も楽しんでほしいです。

 

若輩者のくせに偉そうなことを言ってるような気がしますがこの記事はこの辺で終わりにしたいと思います。